KUSO TEXT

メール一の踊り子と大建築士様



「君に出会えたことを幸運と言うならば、君に出会うまでの僕の全ても幸運だったと言えるだろう。」――カーヴェ



ニィロウには、アルカサルザライパレスを見に行った経験がある。

かの建築物の建設が進み、その全貌が露わになった頃から庭園が一般公開された頃に至るまで、当時スメールシティ周辺に住んでいた人間で一度も足を運ばなかった人間はいないのではないだろうか。それほどまでにアルカサルザライパレスの存在はスメールでセンセーショナルに伝えられていた。

ご多分に漏れずスメールの一般市民として物見遊山に出掛けた日のニィロウは、突如として山間に現れた宮殿の姿に感嘆の声を上げた。

アルカサルザライパレス。

この風変わりで豪華絢爛な建築物は、所有権や金銭的な面で言えばサングマハベイという大商人が、技術的な面で言えばカーヴェという教令院の学者が中心となって建てたのだという。

大商人の邸宅が建つのは珍しいかもしれないが、教令院の学者による建築物というのは珍しくはない。むしろテイワット最大の研究組織を保有するスメールにおいて学者の関わらないプロジェクトを探す方が難しいのだ。今手を伸ばせる範囲でも、着ている服の繊維から今朝つけた整髪料に至るまで教令院の研究結果が利用されている筈だ。

さて、そんなスメールの学者が関わった大建築物というのは、どれもこれも合理的で無駄がなく最新鋭の研究内容の利用された素晴らしい品になる。誰に聞いても「よく分からないけれど立派」だとか「よく分からないけれど丈夫そう、便利そう」という感想が出てくるだろう。

しかし、スメールの学者が建てたはずのアルカサルザライパレスを目にした者の中では、それらの「一般的なスメールの大建築物」に対する感想は鳴りを潜めてしまう。

こんな崖っぷちに建てる必要がない。
こんなに珍しい植物を植える必要がない。
こんな勾配は利便性だけを考えるなら必要ない。
だが――

得られる感想は、強いて言うならば「よく分からないけれど美しい」だろうか。

ここでスメールの「美」について少し記しておく。前述の通り知恵の国スメールにおいて重視されるのは一にもニにも学問だ。そんな風土で「芸術」や「美しさ」という――学者たちに言わせれば曖昧模糊たる概念は「無価値なもの」として軽視されてきた。

芸術家であるニィロウは、自身の携わる芸術のことしか分からない。故に目の前にある「よく分からない美しいもの」を踊りに置き換えて考えてみる。
これを作った人間は、きっと夢中になって楽しく作業をしていたに違いない。ニィロウの知る「美」は、そういった過程を経て生まれる純粋なものであるから。

アルカサルザライパレスの見える範囲から去った後も、美しい造形と想像の中の子供のような目をした建築家はニィロウの瞼の裏と心の中に残り続けた。




アルカサルザライパレスがスメールの森に現れてから数年が経ち、ニィロウの周りでもスメールでも色々――まぁ色々とあった。

日頃から何かと教令院の人間と対立しがちなグランドバザールの面々は相変わらず学者を目の敵にしていたし、本人の性質上僅かではあるがその影響を受け続けてきたニィロウも無意識下で学者に対し苦手意識を持っていた。
しかし、だからこそ芸術を見下す普通の学者と、あの芸術的なアルカサルザライパレスを建てた学者とが結びつかず、「彼がそうだ」と街角で知り合いから教えられた金髪の建築家への興味は燻っていた。

そんなある日、カーヴェが客としてシアターを訪れたのだ。
ニィロウは彼のような有名人が自身の公演を観に来たことを単純に驚いた。それから内心、彼らが嗜むようなフォンテーヌの歌劇場で上演される格式の高いダンスと比較して、充分に楽しんで貰えただろうかと困惑した。
彼女の不安を知る由もないカーヴェは、興奮状態のまま舞台への感想を早口で捲し立てた後、もっと早くに時間を作り観に来るべきだったと口惜しそうに言った。

ニィロウは知り合いであっても初見の客であっても対応に差をつけない。それは全ての観客を大切にする彼女のポリシーであった。ところが思わず、必要もないのに。カーヴェに「顔と名前を知っている」と伝えてしまったのは、想像よりも遥かに親しみやすく純朴そうな青年に対し、好感を抱いたからに違いなかった。

舞台に関する会話を終えた二人はそのまま別れるかのように思えたが、カーヴェは他の客の耳がないのを確認してニィロウを食事に誘った。ニィロウもまた新しい友人からの申し出を快諾した。

ここからはカーヴェの事情になるが、カーヴェは教令院出身のスメール人学者でありながら「合理性」の数倍は「芸術性」に重きを置く稀有な建築士だ。当然、先輩後輩同期に至っても彼の崇高な理念を理解出来る人間はおらず、極めて孤独だった。
同業者との新しい建材の話は噛み合う。新しい技法の話もだ。客とであれば値段、ちょっとしたこだわり、工夫……。ただ「美」や「芸術」という点においては誰からも賛同を得られない。

職場に限らず、スメール人と高い水準で「美」を語り合うことは極めて難しいことなのだ。

親しい友人と酒を飲んでいても芸術の話になった途端に呆れた顔をされたり、話を変えられたりする。更に家には「理想を捨てろ」などと平気で言ってくる同居人もいる。カーヴェの中で膨れ上がった孤独感は自身が「口をきけないのが利点」とまで評した工具箱に話し掛けるところまで来ていた。

そんな精神をすり減らす日々を過ごす中で、彼の代表作であり現在のところ一番の自信作でもあるアルカサルザライパレスを褒められた日にはどうであろうか。相手が著名な踊り子であり若く見目麗しい女性であるという点を除いても「もっと会話したい」という欲求を抑えるのは難しいのではないだろうか。少なくとも、カーヴェには無理だった。




舞台の後片付けを終え、待ち合わせ場所へとやって来たニィロウから行き先を尋ねられたカーヴェは、即座に「オルモス港」と答えて自身の携わったプロジェクトを片っ端から紹介したい衝動に駆られた。が、ぐっと堪えてシティ内のレストランを提案した。
何か別の案があった気配を察したニィロウはそのように指摘するが、カーヴェは「機会があれば」と言葉をぼかした。
過去の経験からオルモス港見学ツアーが友好を深める切り口として諸刃の剣であるという自覚があったカーヴェの、「ニィロウとの関係を慎重に育みたい」という思いが全てに勝った瞬間だった。

初めてアルカサルザライパレスを見た日から、ニィロウの想像するカーヴェとは、積み木で遊ぶように美しい建築物を創造する大きな子供のような人間だ。

ある意味ニィロウの予想通り、無垢な少年のように目を輝かせたカーヴェは、頼んだ料理に手を付けるのも忘れ、自身の建築に関するこだわりや理想を語り尽くした。
頼んだ料理を一皿ずつ空にしていくニィロウは、止め処ない話の隙間を縫うように相槌や質問を入れていた。
その都度、単語の意味を聞かれれば分かりやすく言い直し、言葉の意図を聞かれれば「いい質問だ」と丁寧に解説するカーヴェ。学校の授業を聞くと眠くなる体質のニィロウが、こんなにも長い時間興味を失わずに学者先生の話を聞けたのは有史以来初めてではなかろうか。ニィロウの勉強嫌いに悩んでいた時期の両親が見たら泣いて喜んだかもしれない。

カーヴェが一通りの話を終えた時、頼んだ食事はすっかり冷めていたが、彼はそれを満足気に口に運んだ。同じく上機嫌に見えるニィロウはウェイターに追加の皿を頼みながらカーヴェの分の追加の水も頼んだ。

余談ではあるが、カーヴェは外でニィロウと会う時に一切酒を飲まなかったので、ニィロウは長らくカーヴェのことを下戸だと思い込んでいた――という話がある。言わずもがな、酒を飲まなかったのは自身の酒癖の悪さを考慮したカーヴェの安全策だ。この余談は「人間は成長出来る生き物」という命題の証明でもある。

レストランから出た後、カーヴェは「また二人で会えるか」と聞く。大抵の女性はここで言葉を濁すが、ニィロウは美しく目を細めて頷いた。
そしてカーヴェは「世に蔓延る噂話の類は一つも当てにならないが、彼女に関する話だけは本当だったな」と夕明りの中で思うのだった。


この段階での二人は、互いに友人としての関係が始まったに過ぎない。

変わったことといえばニィロウが公演の度に客席の中に金色の髪を探すようになったことと、酒場へ流れていた金の一部がズバイルシアターに流れるようになったことくらいであろうか。




端的に言ってニィロウとカーヴェは正反対の育ち方をした人間である。
片や幼き日より今に至るまで両親から浴びるほどの愛を与えられ育った人間であり、片や父親を失い、心を病んだ母を支え、終いには捨てられた人間だ。
太陽に向け真っすぐ育った花を見上げる歪んだ花の想いは、どの立場からなら理解できるだろう。

カーヴェは愛情に飢えている。それは彼の生い立ちや性格を知る人間ならば誰もが認めるところではあるし、本人が認めずとも事実であろう。
彼の抱える不幸の根源とも言える――幼少期に作った心の穴を埋めるとしたら何になるだろうか。
本人は「他人への奉仕」や「自分にしか出来ない仕事」に結合材としての役割を見出したようだが、埋めたそばからこぼれ落ちていくようにしか見えないのは傍目にも皮肉だった。

ならば、この終わりの見えない大工事に適する建材とは。

建築学もとい心理学や精神医学を修める教令院の学者を集めても意見は無尽蔵に出るだろうが、案外「愛情が不足しているのなら愛情で埋めるしかないに決まっているだろう」と学問らしい学問を修めていない一介の主婦の意見で議論に終止符が打たれるのかもしれない。「しかしカーヴェの心の闇は並大抵の愛情では意味を成さぬほどに深い」と食い下がる学者に反論する材料として紹介されるのがニィロウなのだ。

ニィロウは人間を愛している。家族や友人、観客からグランドバザールの関係者に至るまでニィロウを愛しニィロウが愛さない人間はいない。
与え与えられる循環により増大した彼女の愛の包容力は凄まじく、たとえ対象が彼女を馬鹿にする教令院のいけ好かない学者であったとしても「彼にも良いところはある」と愛する理由を見つけて実際に愛してしまう――という狂気と紙一重の様相を見せてくれる。

穴の空いたバケツのように決して満たされることのない心を持つカーヴェと、心の源泉から無尽蔵に溢れる愛を持つニィロウ。
同じ国の人間だとか芸術家だとか、もっともらしい理由を付けずとも二人が出会うのは必然だったのかもしれない。




一般的に「運命」と呼ばれる必然性に急かされ出会ってからというもの、ニィロウとカーヴェは両手では足りないほどの同じ時を過ごしていた。お互いに顔と名前が知られている身であるからゴシップ対策として他の友人を間に挟むことも多かったが、そのどれもが二人にとってかけがえのない時間だった。

共通点の限られている二人だが、不思議と話は合った。ニィロウはカーヴェの学者らしい知識量に感心したし、カーヴェはニィロウの柔軟で新鮮な視点に舌を巻いた。二人は下らない話から本質的なものまで様々な話をしたが、そこだけ柵で囲われたように触れられていない話題があった。カーヴェの家族の話だ。

謎を解き明かす前に、カーヴェの特性について情報を付け加える必要がある。彼は他人を慮る能力が高いが、それ以上に他人から理解されたいという思いが強い人間だ。なので相手を試すかのように自身の美学を熱弁して場を白けさせることもあれば、自らの生い立ちを語り周囲を暗くすることもある。

しかし、いくら自己顕示欲の塊のカーヴェと言えど「絶対に嫌われたくない」と考えた時には元来の慎重さが勝つらしく、ことニィロウの前で一番の弱み――育った家庭環境を想起させる内容を口にするのは避けていた。だが、家族や子供時代の話などは鉄板中の鉄板である。ひた隠しにしたからこそ、それらの「領域」がカーヴェの笑顔を曇らせている原因であるとニィロウは気付いてしまった。

ニィロウは優しく善良な人間だ。そしてニィロウには他者を「癒やす」特別な能力がある。それから、ニィロウは愛し愛されることしか知らないため、ほんの少し傲慢だ。
目の前で大切な人間が苦しんでいたら、「癒せるかもしれないから傷口を見せて貰おう」と考えるのは水が上から下に流れるように自然だった。

――「もう少し話さない?」という言葉が予感させるのは、良いものから悪いものまで。まるで花神誕祭で配られるヤルダーキャンディだ。

食事の席ではカーヴェの「隠し事」を聞き出せないと感じたニィロウは、いつもならば別れて帰路につくタイミングで彼を引き止めた。
喉に詰まった空気を溜め息のように吐いて、カーヴェは「いいね」と応じた。

この時の舞台として選ばれた、少し歩いた先の川辺から眺めた特別美しい訳では無い風景を、二人は生涯忘れはしないだろう。




河原で肩を並べて間もなく、カーヴェの家族について尋ねるというニィロウの目標は達成された。観念したカーヴェは、人生で幾度となく繰り返してきた通りに自らの過去を語った。聞き終えたニィロウの眼にはカーヴェの横顔が貼り付いていた。

今までカーヴェが身の上話をしなかったのは、ニィロウに嫌われるのが怖いという理由だけではない。愛されるべくして愛される彼女に子供の頃の自分を重ねては惨めな気持ちになるからだ。

愚行や奇行と評されるカーヴェの行動の大半は「愛への渇望」で説明がつく。弱者に手を差し伸べるのも、他人の代わりに犠牲になるのも、救った当人や善行を知った人々から称賛され、愛されるために他ならない。
この非効率的な愛の収集方法によりカーヴェはしょっちゅう騙されたり裏切られたりする訳だが、彼が過ちの原因を理解することはない。そもそもカーヴェは愛され方を知らないのだ。だから何度でも積み木を重ねては、目の前で崩される。

傷だらけの積み木の前でカーヴェは問う。愛したからといって愛されるとは限らないのならば、幼き日に母へと伝え続けた「愛してる」という言葉はどこへ消えたのだろう。

カーヴェの中にはいつだって母親の顔色を窺って生きていた哀れな少年が住んでいる。
彼にとって両親からの愛を惜しみなく受けてきたニィロウは羨望と嫉妬の対象だ。
そうして胸に渦巻く醜く幼い感情を彼女に知られたらと思うと、カーヴェは恐怖と苦しみから泣き出しそうになるのだ。

この時のニィロウはカーヴェの複雑な精神構造など微塵も理解していないし、彼の難解な精神状態も把握していない。掛けてはいけない言葉を知らず、掛けるべき言葉を持ち合わせていない彼女は、もしかしたら繊細な彼の傍にいるには不適格ですらあったかもしれない。ただ、一点だけ。彼女は隣で俯く人間が求めるものを有り余るほどに持っていた。

ニィロウはカーヴェを黙って抱き締めた。

哀しみを癒やすのに言葉は要らないと知るニィロウは、自身が与えられてきた母の温もりを再現した。カーヴェもまた、花の香りがする柔らかな腕の中で、消えかけていた優しい母の記憶を手繰り寄せた。
同情などという矮小な名が付く暇がないくらい、そこには愛しか存在しなかった。

愛され方など知らなくても、愛し方を知る人間に愛して貰えば良い。あまりに単純な答えに、ブカブカの制服を着た少年は涙した。




抱擁から解放され、何でもない景色が輝いて見える感動もそこそこに、カーヴェの脳内で「ニィロウは僕のことが好きなのか」という議題の会議が始まる。

カーヴェの経験則は「可能性は限りなく高い」と頷き、カーヴェの自己肯定感は「調子に乗るな」と否定したが、カーヴェの一般常識力は「誰に対してもこんな行動を取る訳がない」ことを確信していた。その証拠に、ニィロウの方に目を遣ると恋人に向けるような屈託のない笑みが返って来る。軽くなったばかりの胸はすぐさま喜びでいっぱいになった。

立ち上がる時に手を取ってからずっと離さなかったから、敢えて言葉にする必要はなかったのかも知れない。しかしカーヴェは生まれて初めて人を好きになった時のように、少し芝居がかった台詞でニィロウに交際を申し込んだ。ニィロウも生まれて初めて覚えたクラシック舞踏のように美しい所作で「喜んで」とお辞儀して見せた。
祖国の風と草木だけが観客となり、二人を祝福していた。




「男女が交際して愛を育む場合にどういった段階を踏むか」という問いに対し、多くの人が思い浮かべるのはデートであり口付けであり性行為であろう。
この度晴れて恋人同士になった二人もまた健康な若者であるので、ご多分に漏れずそのような過程を辿ることになる。

付き合い始めて暫く経った頃、平日に互いの休みが重なった二人はスメールの街をぶらついていた。 景色の良い道を歩いてみたり、店先で買う予定のない商品について語ったり、道端の猫を眺めたり。カーヴェの懐事情に優しすぎるデートながら、ニィロウは大いに満足していた。
しかし文字通り暗雲が立ち込める。愉快な気分に水を差したのは、突如として降り始めた雨だった。すぐに止むからやりすごそうとも言っていられないレベルの大雨に、二人はそう遠くもないカーヴェの家へ駆け込むことにした。

カーヴェの――登記上はアルハイゼンの家は教令院から徒歩3分というスメール屈指の一等地にある。 驚くべきことにカーヴェは、有名人でありながら、何年もの間、この教令院の関係者の通勤通学路途中にある家に、頻繁に出入りしていたが誰にも居候状態であることを悟らせなかった。
そんな訳で本来ならば無事に玄関を通るには卓越した隠密スキルと出入りに適した時間帯の選択が要求されるのだが、現在のところ、それらの役割は視界を塗りつぶすほどの豪雨が担った。
ずぶ濡れのまま家に飛び込み、扉を閉める。叩きつけるような雨粒から解放されたことを喜び、くぐもった雨音を背に誰もいない家の中を見渡す。カーヴェは、同居人がロボット並みに規則正しく生活する公務員で良かったと、この時ばかりは深く感じ入るのだった。

風邪を引いてはいけないと、カーヴェはまずニィロウを浴室に案内した。そして自分は洗濯かごに濡れた服を入れ、髪と身体をタオルで拭き、新しい服に着替える。そこで初めて失態に気付く。
母親と住んでいた家や学生時代に住んでいた家ならなら露知らず、人生で最も女っ気のない時代を過ごしたこの家には、女物の服など存在しない。
ニィロウに着替えを失念していたことを謝罪し、仕方なく自分の予備のシャツを脱衣所に置いた。

暫くして、カーヴェが自室で服を干していると、入室の可否を伺う声と共にドアがノックされる。承諾後に入ってきたニィロウに、カーヴェは度肝を抜かれた。
自分のシャツのみを身に着けた彼女――体のラインを無視するオーバーサイズの服は女性らしい華奢さを強調させ、開襟部からは胸元どころかちらりと臍が覗く。覗く生足の先は考えてはいけない。
今度仕立て屋に会ったら真っ先に礼を言う必要が生じた。何のことだと訝しまれるかも知れないが、とにかく謝意を伝えざるを得ない。場合によっては同じ服を買い足す必要がある。それほどまでに、目の前では人知を超えたエロ元素反応が発生していた。

ニィロウは自宅でそうするように、自然な様子でベッドに腰掛けた。美しい顔、前述の胸元、生足。シャワーを浴びたばかりの上気した肌には汗が浮かぶ。
手に残っていた洗濯物を雑に干して、カーヴェは恋人の隣に座った。引き寄せられるように唇を重ねたら、あとはイッツオートマチックだ。

それから、デートの流れに「家に寄ること」が加わった。何事も始めたて、覚えたてが一番楽しい。




デートの最中、いつもであればニィロウを連れて家に向かう頃合いに、カーヴェはひとり思案する。

――求めれば応えてくれるのは嬉しい。とはいえ、毎回これでは性欲を優先しているようにも見え、愛情や大切に思う気持ちを疑われかねない。ただでさえ自分は彼女に充分な贈り物を出来ていないのだ。ひと度関係にヒビが入れば、修復できないほど崩れ去ってしまうに違いない。

ニィロウの愛情を事実上独占しながらも、「向き合い方を間違えて彼女を失ってはいけない」というカーヴェの臆病さや慎重さは常にカーヴェを苦しめた。行き過ぎた気遣いはベッドの上でも悪い方に……これはやめておこう。

――それに、間借りしているとはいえ他人の家で致すというのも後ろめたさがある。特に今日は休日で、アルハイゼンに出掛ける予定はないはずだ。

脳内で繰り広げられていた――カーヴェの持ち味である良識と非常識さのシーソーゲームの決着は、「たまには真っ直ぐ彼女を自宅へ送り届けるべきだ」という紳士的な判断だった。「今日だけと言わず、これからのデートで3回に1回は何もせずに家に帰そう。誠実さを見せるなら2回に1回だろうか」などと考える紳士的なカーヴェ。
しかし、無意識の内に大きくなっていた歩幅に追いつこうと小走りで寄ってきたニィロウが「今日はしないの?」と言わんばかりに上目遣いで袖を引いてきた場合は例外だ。

一等地の一軒家。家主への挨拶もそこそこに、二人はカーヴェの部屋へと消えていく。本に目を落としていたアルハイゼンは、気配でそれを感じ取った。そして5分後、ヘッドホンをノイズキャンセリングモードにした上で耳に大音量の音楽を流し込んだ。




いくら賢こぶっても人間は単なる動物だ。下半身でものを考える生き物と言っても過言ではない。そこまで極端に言わずとも、行動決定の多くが生殖本能に左右されているのは否定出来ないだろう。
我らが大建築士様と国一番の踊り子の話に戻るが、二人とも体の繋がりが心の繋がりに直結するタイプであり、性欲のバランスも含めて相性は良かった。故に悩みは日増で大きくなり、看過できないほど深刻になる。

――そろそろ同居人の視線が厳しい。

お互いに忙しい身なので、会えるのが家主の不在中とも限らない。そういった時はシャワーを我慢したりはするが……。
初めこそ不干渉を貫いていたアルハイゼンだが、最近では舌打ちを隠そうともしなくなった。 そうなってくると、カーヴェの中で燻り続けていた「自分の家が欲しい」という欲求が高まる。それは生まれてより実家で暮らすニィロウも同じだった。

カーヴェは久々に家探しを再開した。以前見つけた物件は売れてしまっていたが、カーヴェの希望する条件を覚えていた不動産屋が、すぐに似たような物件を紹介してくれた。予算を少し超えていること以外は最良の家だった。
ニィロウにその旨を伝えると、自分も知人をあたり物件を探しており、相場は分かっているつもりだ。家賃を半分負担すれば一緒に住めるのではないか。と身振り手振りで提案した。カーヴェは恋人の着眼点、一石二鳥の妙手に感動し、「素晴らしいアイディアだ!」と賛同した。

さて、ここで現在のカーヴェの同居人だ。彼はカーヴェの母親と言われても頷けるほど過保護な一面があり、それはカーヴェが同居解消を申し出た本件でも発揮された。
アルハイゼンは、根掘り葉掘り事の仔細をカーヴェから聞き出し、更にはニィロウからも聞き取りを行い、それだけでは飽き足らずドリーに残りの返済額について尋ねた。そうして最終的に「せいせいした」と新居へ向かうカーヴェを送り出したのだ。とある友人の評を借りるに「小走りで子離れ」である。

余談ではあるがアルハイゼンはカーヴェから預かった家賃を、あればあるだけ使ってしまう自制心のない友人――手のかかる兄弟――息子――カーヴェ自身の貯金として蓄えていた。いつか家を出て行く時に餞別として渡すつもりだったのだが、借金も返しきっておらず家賃も折半という状況では時期尚早――と今回は見送ったのだ。この資金は後々役立つことになる。


十一

新居はグランドバザールにほど近い、便の良い賃貸の一軒家だ。いつかはカーヴェの設計した家に住みたいと夢を語りながら、二人の新生活は始まった。

周りから「新婚」と揶揄されるほどの――ナツメヤシキャンディのようにベタベタ甘い生活の中、「結婚」の二文字は二人の間でも何度か話題に上っていた。
ニィロウはまだ若いので「好きな人と結婚する」という、少女の誰しもが抱く夢の範疇を出ていなかったのかも知れないが、カーヴェの中だけで言えばニィロウの処女を散らした時点で責任を取ることは決定していた。カーヴェは重い男である。

愛を育む順序と同様に、交際の後は結婚、結婚の後は出産、出産の後は育児――と人生のステージは移り変わっていく。愛と運命で結ばれた二人も、ご多分に漏れずその流れに身を委ねるのだろう。